昨日 六月十八日は 私が生まれ 育った四日市が空襲にあった日です。B29の爆撃の中を 姉に背負われながら近くの三滝川に家族で逃げました。その時 空が真っ赤だったこと、川の土手の畑が燃えていたことを 今でも鮮明に覚えています。その川は 御在所岳から流れる美しい川ですが、その時は あちこちから逃げてきた人でいっぱい。もう一人の姉が家から持ち出した布団を水に浸し、家族が丸くなって頭からすっぽりかぶり 何とか助かりましたが 一家全滅のお家やら 河原には亡くなった人 怪我をした人でいっぱいだったそうです。私の兄も東京の学校に戻る三日前に フイリッピンで戦死、戦後 いつまでも 何十年も母は思い出しては泣いてましたね。我が家は町の中心部に近かったので丸焼け。跡には 父が子供たちを乗せて走りまわっていた サイドカーつきのハーレーが焼けて転がっていたそうです。こんなお話をするのも、来月早々には六十代におさらば、そうして 戦前にも関わらず 子供たちを学習塾(当時は 習い屋さんといっていました)に通わせる 教育ママのはしりのような母の死んだ歳に近ずいたせいですね。 父は95歳で亡くなりましたが、死ぬ寸前まで 「テニスをしたら まだ 美には負けない」なんて言ってました。  本当に戦争を知っているのは私の年代位までかな? 焼夷弾の経験も 無いとわからないかもしれませんね。
  
   さて、純白の紫陽花が 今日も一段と美しく 他の花々の中でとても誇らしげです。ペンギンちゃま家にお嫁入りしていたなんて すっかり忘れていました。 ヤバイ ヤバイ
     
  では では 鬱陶しいこの時期を 元気にのりきりましょう 。    
     ひよどりの決定的瞬間の写真  いいですねー


           ここに もう一人の おしゃべりの   美

美さんのお元気な古稀を祝って33発の花火を上げます。
おめでとうございます。    ここ  →  

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