先日「学生に与う」は「亀井勝一郎」先生と書きましたが、今朝お経をあげているときに突然「あれ!、違っていた」と思いました。正しくは「河合栄次郎」先生でした。訂正します。
その1;昨日友達と茶臼山の芝桜を見てきました。綺麗だったですよ。台風2号の影響で風が強く寒かったです(温度計は16度でした)。平日にもかかわらず大勢の人達が来ていました。6月5日までやっています。
その2;今日は碁でボロ負けしました。碁は面白いもので、最初から最後までいいという碁はあまりありません。
最初がいいとあとで逆転されたりします(その逆も当然あります)。ピンチのあとにチャンスが来たり、チャンスの後にピンチが来たりします。「悪手変じて妙手」になったりもします。人生によく似ているな、と思います。
私の好きな言葉に「人生(禍福は)あざなえる縄のごとし」というのがあります。禍福はあざなえる縄のように来るということだと思いますが、まったくそのとおりだと思います。悪いと言って悲観することもないし、良いと言って天狗になることもないと思います。また「人生、塞翁が馬」というのもありました。簡単に説明しますと、塞翁の息子が落馬してカタワになり悲観していたけど、それがもとで戦争に行かなかった。戦争に行った人達はみんな死んでしまったが、塞翁の息子は戦争に行かなかったのので、命が助かった。という意味だったと記憶しています。何が幸いするかわからない、ということだと思います。
その3;定年退職を機会に生命保険をすべて解約しました。理由は自分でもハッキリわかりませんが、子供たちも成人し私の親としての責任は終わったのかなと思うことや、「延命したくない」できればピンコロがいいと思っています。もし癌で余命ウン年(月)と言われたら、あまんじてそれを受け入れようと思っています。(今はこう思っていても実際になってみるとどうなるかは自信がありません。昔(名前はわすれましたが)高僧の臨終の際に、弟子たちが「何か言うことはないか」と聞いたところ「死にとうない」と云ったそうです。高僧にしてこうだから凡人の私なら「まあ、いいか」と思っています)でも昔の人達は偉いと思います。私が子供のころ、ほんの50年ほど前でしょう。みんな痛くても苦しくてもほとんどの人が自宅で亡くなっていたと思います。昔の人にできて俺に出来ないことはないと思っていますがどうでしょうか?医者に行ったり病院に入院するから命はながらえるのでしょうね。「生きながらえば恥多し)これも私の好きな言葉です。
その4;ハンディについて。碁でも将棋でも強い人と対戦する時はハンディがあります。でもテニスにはありません。上手な人とやると適当に遊ばれて終わる、ということがあります。そこで私が思うには1ゲーム目は0-0でやり、負ければ2ゲーム目は0-15から始め、また負ければ0-30から3ゲーム目は始め、勝てば0-15に戻ったらどうでしょうか?それを6ゲーム先取までやえる。そうするとお互いが真剣になって面白いのではないかなと思います。碁でもテニスでも差があまりありすぎるのは面白くありません。
以上また取りとめのないことばかりを書きました。 5/31 dokidoki
その1;昨日友達と茶臼山の芝桜を見てきました。綺麗だったですよ。台風2号の影響で風が強く寒かったです(温度計は16度でした)。平日にもかかわらず大勢の人達が来ていました。6月5日までやっています。
その2;今日は碁でボロ負けしました。碁は面白いもので、最初から最後までいいという碁はあまりありません。
最初がいいとあとで逆転されたりします(その逆も当然あります)。ピンチのあとにチャンスが来たり、チャンスの後にピンチが来たりします。「悪手変じて妙手」になったりもします。人生によく似ているな、と思います。
私の好きな言葉に「人生(禍福は)あざなえる縄のごとし」というのがあります。禍福はあざなえる縄のように来るということだと思いますが、まったくそのとおりだと思います。悪いと言って悲観することもないし、良いと言って天狗になることもないと思います。また「人生、塞翁が馬」というのもありました。簡単に説明しますと、塞翁の息子が落馬してカタワになり悲観していたけど、それがもとで戦争に行かなかった。戦争に行った人達はみんな死んでしまったが、塞翁の息子は戦争に行かなかったのので、命が助かった。という意味だったと記憶しています。何が幸いするかわからない、ということだと思います。
その3;定年退職を機会に生命保険をすべて解約しました。理由は自分でもハッキリわかりませんが、子供たちも成人し私の親としての責任は終わったのかなと思うことや、「延命したくない」できればピンコロがいいと思っています。もし癌で余命ウン年(月)と言われたら、あまんじてそれを受け入れようと思っています。(今はこう思っていても実際になってみるとどうなるかは自信がありません。昔(名前はわすれましたが)高僧の臨終の際に、弟子たちが「何か言うことはないか」と聞いたところ「死にとうない」と云ったそうです。高僧にしてこうだから凡人の私なら「まあ、いいか」と思っています)でも昔の人達は偉いと思います。私が子供のころ、ほんの50年ほど前でしょう。みんな痛くても苦しくてもほとんどの人が自宅で亡くなっていたと思います。昔の人にできて俺に出来ないことはないと思っていますがどうでしょうか?医者に行ったり病院に入院するから命はながらえるのでしょうね。「生きながらえば恥多し)これも私の好きな言葉です。
その4;ハンディについて。碁でも将棋でも強い人と対戦する時はハンディがあります。でもテニスにはありません。上手な人とやると適当に遊ばれて終わる、ということがあります。そこで私が思うには1ゲーム目は0-0でやり、負ければ2ゲーム目は0-15から始め、また負ければ0-30から3ゲーム目は始め、勝てば0-15に戻ったらどうでしょうか?それを6ゲーム先取までやえる。そうするとお互いが真剣になって面白いのではないかなと思います。碁でもテニスでも差があまりありすぎるのは面白くありません。
以上また取りとめのないことばかりを書きました。 5/31 dokidoki