2010年06月

猛暑

 6月は今日でおしまい。二三日前の天気予報は雨だったが、五月晴れのいい天気。これはテニスに行かなければ。妻は二泊の予定で、娘のところへ孫の顔を見にお出かけ。浮気してもいいよとノタマウ。そう簡単にはいかないのであります。
コートは4面あったが、人数が十名そこそこ。やり放題といえば聞こえがいいが、バテバテになった。そんなに若くはないのであります。気温は三十三度くらいまで上がり、今年最高の暑さ。

 そういえば、昨日サッカーの決勝トーナメントで夜更かししたのだ。PK戦は紙一重の差で敗れた。まあ、アレでよかったのだろう。ウルグアイ、パラグアイというのは、サッカーの判定で戦争も辞さないというようなお国柄。皆さんよくがんばりましたね。 睡蓮の花が咲きましたのでお披露目を。

     すいれん

花の?15年(辰年) 感激

 花火を打ち上げて下さった誰かさん 厚くお礼申しあげます。美しく 華麗な映像を拝見しながら、笑い転げ 又、嬉しく とても心に残る良い古希になりました。 私が確か一番早く 奥田さん 河野さん 森さんが同年で 良い意味のライバルです。他には多分いらっしゃらなかったと思いますが、女の子?一人の私、落ちこぼれないようにと思っています。   大丈夫 最後までしぶとく生き残るのは 美さんです 
と陰の声が聞こえそうですね。    謝 謝

  余談ですが、田舎の方で 四日市空襲を見た人が 花火のようにきれいだったと言ってました。   
           
               丈夫で 元気 長持ちしそう?な 美

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デートその2

瀬戸の深川神社という、由緒あるお宮の参道に「田代」というウナギ屋があります。昔ながらの道路に面した窓のところで、団扇でパタパタやっています。これが、なかなかの味。ここのウナギを食べたらほかのを食べる気がしなくなるとのこと。行ってみました。3坪くらいの店で、席は15くらい。その飾り気のなさにビックリ。家族の三人でやっているようです。注文を聞いてから、ウナギを樽から取り出し、いやがるウナギをブツッ、ガリガリ、ゾリゾリゾリ。串を通してパタパタ。出てきたドンブリにはしっかり焦げ目の着いた、テラテラしたたれがたっぷり。あんまりうまそうではないなと思いつつ食べる。予想は大外れ。こんなウナ丼は食べたことがないという代物。味よりも、食感がすごい。焼き方にコツがあるのだろうか。初めに強く焼いて被膜を作ってしまい、うまさを逃がさないようにしたものか。 1900円の並丼にウナギ一本が入っている。
 場所は、記念橋のすぐ東、瀬戸川の北岸。駐車場は深川神社に有料駐車場があります。
  

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 匂いを外へ振りまくのは、一種の客寄せだろうか。これをおかずにして飯をくうけち男の落語が有りました。匂い代を請求された男は、小判の音で支払ったようです。

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  こちらが深川神社。深川神社というのはあちこちにあるようです。すぐ隣に、陶彦神社というのが併設されている。こちらは陶器の神様。

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 焦げ目が黒々。見た目にはイマイチでした。ビールは大瓶が一本500円。

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いよ いよ 大台

 昨日 六月十八日は 私が生まれ 育った四日市が空襲にあった日です。B29の爆撃の中を 姉に背負われながら近くの三滝川に家族で逃げました。その時 空が真っ赤だったこと、川の土手の畑が燃えていたことを 今でも鮮明に覚えています。その川は 御在所岳から流れる美しい川ですが、その時は あちこちから逃げてきた人でいっぱい。もう一人の姉が家から持ち出した布団を水に浸し、家族が丸くなって頭からすっぽりかぶり 何とか助かりましたが 一家全滅のお家やら 河原には亡くなった人 怪我をした人でいっぱいだったそうです。私の兄も東京の学校に戻る三日前に フイリッピンで戦死、戦後 いつまでも 何十年も母は思い出しては泣いてましたね。我が家は町の中心部に近かったので丸焼け。跡には 父が子供たちを乗せて走りまわっていた サイドカーつきのハーレーが焼けて転がっていたそうです。こんなお話をするのも、来月早々には六十代におさらば、そうして 戦前にも関わらず 子供たちを学習塾(当時は 習い屋さんといっていました)に通わせる 教育ママのはしりのような母の死んだ歳に近ずいたせいですね。 父は95歳で亡くなりましたが、死ぬ寸前まで 「テニスをしたら まだ 美には負けない」なんて言ってました。  本当に戦争を知っているのは私の年代位までかな? 焼夷弾の経験も 無いとわからないかもしれませんね。
  
   さて、純白の紫陽花が 今日も一段と美しく 他の花々の中でとても誇らしげです。ペンギンちゃま家にお嫁入りしていたなんて すっかり忘れていました。 ヤバイ ヤバイ
     
  では では 鬱陶しいこの時期を 元気にのりきりましょう 。    
     ひよどりの決定的瞬間の写真  いいですねー


           ここに もう一人の おしゃべりの   美

美さんのお元気な古稀を祝って33発の花火を上げます。
おめでとうございます。    ここ  →  

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巣立ち

2010,6ひよどりひな 432 夕方、いきなりドーンという感じで立ち上がった。朝はまだ 2010,6ひよどりひな 298 こんな感じだったのに。

この子はとんでもない子かも。

2010,6ひよどりひな 377 何をしてるのかと不思議だったけど

2010,6ひよどりひな 217 体を小さく見せて、餌をもらうためだったらしい。

 巣の中を泳ぐようにローリングしていたのは、ライバル抹消作戦だったかも。自然界では生存競争が厳しいので、生き残っていくにはこれくらいの根性がないとだめかも。ヒヨドリなのに「かも、かも」、で確信はないけれど。
 次の朝には巣はからになっていたので、巣立って行ったらしいが、どこかで親を呼ぶ声がしていたので、まだ親に世話を焼いてもらえたかな?雨の季節。逞しく生き延びてくれることを祈ってます。

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