飛行機は、落ちるのが当たり前? だから、懸命に巧みに飛んでいます!
飛行機は、一番事故の確率が低くて安全と言う “神話” がある。けれど、僕は飛行機に乗る旅行の際には、ちょっと不安になる。万が一、墜落して死んだ場合のことも、ついつい考えてしまう。書斎の中も、片付けて出掛けようか。そして直ぐに、その確立はすこぶる低いから大丈夫、その時は運命だと思い直す。
あんなに大きくて重い物体は、落ちるのが当たり前である。それは、ニュートンの法則である。だから、落ちない様に懸命にエンジンと翼の助けを借りて、常に揚力を付けて空に浮んでいるのである。すごい技術、不思議な現象とも言えよう。今でも、アフリカの原住民の間には、飛行機信仰が残っていると言う。
すごいパワーとスピード、そしてハイテクで飛んでいるジャンボ旅客機は、それが止まったり狂ってしまうと、いとも簡単に落ちてしまう。セスナ機は、グライダーのように滑空して、直ぐには落ちはしない。
航空機の安全神話に戻ろう。確かに、交通事故に遭う確立は他の交通機関に比べたら、格段に低いと思う。けれど、一旦墜落したら、まず助からない。航空機事故の知らせを聞くと、絶望感に包まれる。致死率が、格段に高いのである。自動車事故の確率は高いけど、気を付ければ一段と低くなってくる。
僕が、極端な高所・狭所恐怖症ではないけれど、エアーバスの機内に10数時間も閉じ込められていると、気分的には落ち着かない。北海道に旅したフェリーでも感じたけど、無性に地面に降りたくなっても、ずうと出来ないのである。
しかも、狭いシートの中でずうっと座って過ごす。エコノミー症候群で重傷になる人がいるのも、頷けてくる。(僕は貧乏症だから、エコノミークラスしか乗った事がない。 ビジネスクラスは、少しは快適だろうか。)
食事だけは、数時間毎にサービスしてくれる。狭いゲージの中で餌を与えられ、太っていく肉用鳥のようである。飲ん兵衛の僕は、ずっとお酒を頂けるのが嬉しい、気分も紛れて助かる。
“エアーバス” とは、ぴったしの呼び名である。正に、大型バス10台以上が連なって、空を飛んでいるのである。しかも、高度1万メートルの上空を時速千キロ近くのスピードで、10何時間も飛び続けていく。乗っている数百人の乗客は、運命共同体とも言えよう。そのまま、飛行機が何処かへ彷徨ったり墜落するのも、運命を共にするのである。
僕は、旅行が大好きである。スイス、 スペイン、中国、 ハワイ等にも家族旅行に出掛け、大いに楽しんできた。この頃は、ハイビジョン放送で海外の風景を奇麗に一杯見る事ができる。けれど、現地に降り立つと、まるで実感が違う。そこで過ごしている内に、映像には映らない風とか臭いみたいなものが、肌から体感出来ると思う。だから、また出掛けたいと思うが、僕は飛行機だけがどうも苦手なのである。やはり、安全への不安もあるのであるが、狭い所にじっと座っているのが、しんどいのである。
僕が、特に心配症ではないと思う。ゴーカートを2人の子供達と運転した時の事である。僕は、カーブではアクセルを緩めてブレーキを踏んでしまう。 子供達は、そのまま突っ込んでいく。確かに、安全設計はしてあるから横転はしない。ゴールは、僕がドベであった。そんな僕は、飛行機にも何故か不安になってしまうのである。
狭い所でじっとしているのはしんどいし、直ぐに地面に降りられないと思うと、落ち着けない。辛抱が足りない僕は、我慢出来るのは数時間までである。後は、まずはお酒を飲みながら、次には映画を見ながら、音楽を聴きながら、本を読みながら、寝ながら、ひたすら耐えるのみである。
昔のテニス仲間が、名古屋空港にあるM重工業のジェット機試験飛行のパイロットをしていた。何回、何千回飛んでも、離着陸の際には極限に近い緊張感が走る(恥ずかしい話だが、ついしっこをちびったこともある。)と、語っていた。
僕も、乗った飛行機が滑走路に無事に降り立った時には安堵し、そっと胸を撫でおろす。悪天候の中で無事に着陸した時、乗客から拍手が湧き起こったのを思い出す。
今週末から、夫婦で韓国の済州島へ旅行してきます。90分余りのフライトだから、とても楽である。確立はすこぶる低い墜落の不安は残るけど、それは人生的運命であろう。
無事に旅行を終えて帰り、皆さんに土産話を出来るのを楽しみにしています。
’09年11月27日(金) 田中 忍
飛行機は、一番事故の確率が低くて安全と言う “神話” がある。けれど、僕は飛行機に乗る旅行の際には、ちょっと不安になる。万が一、墜落して死んだ場合のことも、ついつい考えてしまう。書斎の中も、片付けて出掛けようか。そして直ぐに、その確立はすこぶる低いから大丈夫、その時は運命だと思い直す。
あんなに大きくて重い物体は、落ちるのが当たり前である。それは、ニュートンの法則である。だから、落ちない様に懸命にエンジンと翼の助けを借りて、常に揚力を付けて空に浮んでいるのである。すごい技術、不思議な現象とも言えよう。今でも、アフリカの原住民の間には、飛行機信仰が残っていると言う。
すごいパワーとスピード、そしてハイテクで飛んでいるジャンボ旅客機は、それが止まったり狂ってしまうと、いとも簡単に落ちてしまう。セスナ機は、グライダーのように滑空して、直ぐには落ちはしない。
航空機の安全神話に戻ろう。確かに、交通事故に遭う確立は他の交通機関に比べたら、格段に低いと思う。けれど、一旦墜落したら、まず助からない。航空機事故の知らせを聞くと、絶望感に包まれる。致死率が、格段に高いのである。自動車事故の確率は高いけど、気を付ければ一段と低くなってくる。
僕が、極端な高所・狭所恐怖症ではないけれど、エアーバスの機内に10数時間も閉じ込められていると、気分的には落ち着かない。北海道に旅したフェリーでも感じたけど、無性に地面に降りたくなっても、ずうと出来ないのである。
しかも、狭いシートの中でずうっと座って過ごす。エコノミー症候群で重傷になる人がいるのも、頷けてくる。(僕は貧乏症だから、エコノミークラスしか乗った事がない。 ビジネスクラスは、少しは快適だろうか。)
食事だけは、数時間毎にサービスしてくれる。狭いゲージの中で餌を与えられ、太っていく肉用鳥のようである。飲ん兵衛の僕は、ずっとお酒を頂けるのが嬉しい、気分も紛れて助かる。
“エアーバス” とは、ぴったしの呼び名である。正に、大型バス10台以上が連なって、空を飛んでいるのである。しかも、高度1万メートルの上空を時速千キロ近くのスピードで、10何時間も飛び続けていく。乗っている数百人の乗客は、運命共同体とも言えよう。そのまま、飛行機が何処かへ彷徨ったり墜落するのも、運命を共にするのである。
僕は、旅行が大好きである。スイス、 スペイン、中国、 ハワイ等にも家族旅行に出掛け、大いに楽しんできた。この頃は、ハイビジョン放送で海外の風景を奇麗に一杯見る事ができる。けれど、現地に降り立つと、まるで実感が違う。そこで過ごしている内に、映像には映らない風とか臭いみたいなものが、肌から体感出来ると思う。だから、また出掛けたいと思うが、僕は飛行機だけがどうも苦手なのである。やはり、安全への不安もあるのであるが、狭い所にじっと座っているのが、しんどいのである。
僕が、特に心配症ではないと思う。ゴーカートを2人の子供達と運転した時の事である。僕は、カーブではアクセルを緩めてブレーキを踏んでしまう。 子供達は、そのまま突っ込んでいく。確かに、安全設計はしてあるから横転はしない。ゴールは、僕がドベであった。そんな僕は、飛行機にも何故か不安になってしまうのである。
狭い所でじっとしているのはしんどいし、直ぐに地面に降りられないと思うと、落ち着けない。辛抱が足りない僕は、我慢出来るのは数時間までである。後は、まずはお酒を飲みながら、次には映画を見ながら、音楽を聴きながら、本を読みながら、寝ながら、ひたすら耐えるのみである。
昔のテニス仲間が、名古屋空港にあるM重工業のジェット機試験飛行のパイロットをしていた。何回、何千回飛んでも、離着陸の際には極限に近い緊張感が走る(恥ずかしい話だが、ついしっこをちびったこともある。)と、語っていた。
僕も、乗った飛行機が滑走路に無事に降り立った時には安堵し、そっと胸を撫でおろす。悪天候の中で無事に着陸した時、乗客から拍手が湧き起こったのを思い出す。
今週末から、夫婦で韓国の済州島へ旅行してきます。90分余りのフライトだから、とても楽である。確立はすこぶる低い墜落の不安は残るけど、それは人生的運命であろう。
無事に旅行を終えて帰り、皆さんに土産話を出来るのを楽しみにしています。
’09年11月27日(金) 田中 忍