2008年11月

冬は近いぞ

 秋の陽はつるべ落とし。もっともつるべという言葉を知っている人は少なくなりました。どこかの落語家の名前に残っているくらいでしょう。
 今日は気温も高く、風もなく絶好のテニス日和。多くの方が行く秋を楽しんでいました。スナップを2,3枚。
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ありがとうございました

 「とにかく楽しく!」が今回の大会のテーマでした。お天気にも恵まれ、皆様のご協力で楽しく過ごすことができました。役員が一番楽しんでいたのでは?というご意見もおありでしょうが、ごもっともで・・・・・笑い            役員の1/5       犬だった猫

ほんまかいな

   知らなかったなあ、そんなことは。このワシがその昔女であったとは。そしてまさに、その痕跡がこの体に残っていようとは。2,3年前に永六輔の本にそんなようなことが書いてあったのを思い出した。でもそれは文学者の駄洒落かと・・・。
  こうしてその明らかな痕跡を見せ付けられると、いやでも納得せざるを得ない。その痕跡とは、昔ワシの股間にあった大きな割れ目のことである。今は勿論縫い合わされて塞がってしまっているが、それがなんとも不器用な縫い方なのである。縫い目の上の端は、丁度おしっこの出る穴のすぐ後ろからずっと下の肛門の近くまで続いている。確かにこのあたりにはおかしな筋のあることは昔から知っていた。人体の左右の対称軸を表す線なら、当然腹にも顔にも背中にもあっていいはずなのに、どういうわけかここにしか見当たらなかった。その縫い目の真ん中辺りにある袋の中の二つの玉は、本来ならそのまま卵巣になっているものだったという。それが生を受け3週間くらいのあと、Y遺伝子の働きで、割れ目は縫い合わされ、卵巣になるべき玉は、ずっと下まで降りてきて、精子の製造機になってしまったのだと。そういわれて我が縫い目のあとを眺めてみる。もう大分古びているが確かに後から接着したような痕跡はある。孫のも見てみる。こちらは新鮮な縫い目だ。まだ1年くらいだからひょっとすると仕付の糸が見つかるかも。
  この感激。三〇年ほど前阿寺断層というのを見に行ったときにも味わった気がする。木曽川のほとり、坂下というところに巨大な地震断層が露出していて、それが最近動いたばかりのように保存されていたのだ。保存されていたのは全くの偶然で、たまたま境界線の土留めや、トンネルの擁壁に塗り固められていたのだが、それがまさしく坂下から下呂の方向に一直線に走っていた。本当に10年前にできた断層をそのまま保存しているような光景であった。でも、それを作った地震はおそらく秀吉の頃の、天正の地震といわれる大地震で、帰雲城という城が瞬時にして谷底に埋まってしまったというほどのものだったというのが説である。
この二つの話は、まざまざとした痕跡を見せ付けられて自然の摂理を垣間見たという、そんなものである。 本当に久しぶりに面白い本をよんだ。「できそこないの男たち」 福岡伸一 (光文社新書)
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